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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「龍谷女學校工事略成り 女専と幼稚園創建 活氣づいた京城西本願寺」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1934年1月9日
本文
朝鮮京城の西本願寺はさきに工事中であつた龍谷高女が市外の景勝の地に四十五間に七間の總二階の煉瓦建てのものが完成し今一月中に内部工事を終ることになつて四月の新學期からこの方へ移転し、一方先年來の懸案たる女専の新開始もこれに依つて具體的になることゝなつた、尚ほこの新女學校々舎の移転と共に、新しく別院では事業を計畫して居るが丁度舊校舎は別院構内にあることゝて都合よく最初の計畫は幼稚園をこの舊校舎を利用して創設することになつて居り、更に佛青方面にこれを利用するプランを計畫中で、ことに鮮人のみのボーイスカウトの既設のそれの拡大と、鮮人のみの佛敎青年會の運動本部としてこれを充當することになつてそれ等のために・・・・・・八日も本山に上つて種々參考資料をあつめて居た、が要するに女學校の移転、女専の開設、幼稚園開設、鮮人佛化運動など、俄かに京城別院は活氣を呈し出してきた。
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