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記事題目

「韓國明新學校の通信片録」

作者

雑誌名

『浄土敎報』

号数等

863

年月日

1909年8月2日

本文

慶尚南道梁山の通度寺にありて、開敎事業に兼て明新學校を建て韓人敎育に熱心なる永田俊良氏は開城に於ける松尾真善氏と相対し恐らく本宗開敎の二大明星なるが、永田擬講最近通信に依れば七月十五日より參日間、當校學期試験を執行せられたるが成蹟良好なりと、續て二十日より八月卅一日夏期休業し、休暇中は永田氏が韓國を旅行し伝道布演の計畫なりと、猶ほ韓國排日の大王たる大韓毎日申報を翻訳して寄贈せられたり、英國人に依て發行さるが、此一紙の爲め恒に韓國擾乱の種子絶へざるを慨せられたり、一例せば韓國觀光客歓迎を命じたる校長に反対し生徒を同盟退校に敎唆し或は伊藤公爵歓迎出でざる様に、外國語學校生徒を尻押せるも此新聞なりと称せらる、本宗開敎事業の進さるも明新學校の大に奮はざるも、皆な彼等の悪筆新聞の愚暗未開的韓人を迷はしめる所多しと云ふ氏が所感の一歌を附記す。

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