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記事題目

「韓國布敎の注意」

作者

一記者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1910年7月20日

本文

韓國に於て將來日本宗敎の布敎は如何にすべき乎とは韓國に着眼せす宗敎家を悩ませる難題なるが之れに就き當局某の私見として記者に語る所に曰く、
今日我が宗敎家にして韓國に着眼せる者は一斉に米宣敎師が韓國に跋扈し堂々と布敎せるに対し當方に於ひても布敎に於て堂々彼等と争はんとする氣勢を示し内地の與論亦た之に左袒して其熱を扇動しつゝあるが是は韓國の事情を知らざるが故にして無謀の考へと云はざるべからず、
敵愾心を起して米宣敎師に當らんとし堂々旗幟を翻して対抗するに至らん乎、それこそ大動乱を來たし宗敎と宗敎との争ひより牽いて統監府に迷惑を及ぼし統監府が日本宗敎家を率ひて基督敎を圧迫するものとして本國に交渉し國際間の問題を惹起し韓國開敎の上で不測の障害を及ぼさんも計られず、
然らば如何にして我日本宗敎を韓國に扶殖せしめ得べき乎、憂ふる勿れ幸に我れに天與の賜あり、同文同種の東京其通の思想を以て漸次韓民を同化せしむる事是なり

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