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記事題目

「韓國伝道私議」

作者

咄堂

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1910年1月24・25日

本文

由來外國伝道には統一せられたる主義ありて各伝道師の歩調をして一ならしむるを要す、漫然人を送りて其の功を奏し得べしとせば、そは失敗に了らん。(中略)吾等は此際先づ韓國伝道に着手せる各宗本山が協議會を開きて宗意安心の事は致し方なきも大體の方針たる韓國民日本化に於て一致し、精神的に日韓合邦の實を擧ぐるに於て其の方針を共にし、相互に従來の歴史を商量して其の敎田を区畫し、乙宗を妨げず、丙宗、丁宗を害せず、各々其の守る所を守りて共に此大方針に於て伝道でば今日までの支離滅裂の弊を少くするを得んか、
若し吾等が最初に言議したるが如く韓國伝道會社設置せらるゝとせば吾等は其第一着手として、布敎師養成所を設置せられんことを思ふ。殖民地養成を目的とする東洋協會専門學校のあるが如く韓國伝道を目的とする學校を設立して特に必要なる學科、例へば韓語、韓國史竝に地理及び簡易なる医術の如きものを加へて未開地伝道に適切ならしむるは最も緊要の事たり、(中略)伝道會社の事は今日直に企畫し難しとせば各宗本山が別に韓國伝道の一科を既設の學校の中に加へ、有志の學徒をして之れを學ばしめ若くは現今に於て殆んど各宗に於て施設せられつゝある布敎講習伝道講習の外に別に韓國布敎師養成所を造りて専ら此の目的の爲めに企畫するは決して困難事にあらずして、之れ又直に實行し得べきのことたり。(中略)各宗本山が一定の主義を立てゝ手を伝道者の養成に下すは、之れを現時の無方針なる伝道、素養なき布敎師の派遣の比して優ること萬萬ならん。

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