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記事題目

「財團法人組織計畫 朝鮮佛敎大會の事業」

作者

雑誌名

『朝鮮佛敎』

号数等

2

年月日

1924年6月

本文

朝鮮佛敎大會では將來敎線を全鮮に擴張し尚ほ内地の朝鮮人在留地にも支部を設置し布敎師を養成するため留學生を派遣し又文書傳道に努力する寺財政的基礎を鞏固にする必要あるを以て今回財團法人を組織し今後十箇年間に參百萬圓の基金を募集する計劃なるが大會の總務たる京城南大門通り丁字屋主人小林源六氏は率先して金十萬圓を醵出することゝあつたか其の財團法人の趣旨は左の如し。
法人組織趣旨
畏くも明治大帝陛下の博愛仁慈の大御心に因り併合せられたる我が朝鮮は政治的諸般の施設に依り政治及び物質的の幸福を得ましたが如何せん李朝五百年の政策は一般民衆より宗敎的信仰を滅却せしめられたる結果延いて現代の思想が法律及び物質に偏執し道徳を無視する傾あり殊に近來歐州戰亂の世界的思想動搖の餘波を受けて思想界は益々惡化し種々の弊害を釀し今や盛んに思想の善導を絶呼せらるも多くは理想に止まり一つも實現の方法を見出さない。之れはどうしても我が國體に適當する宗敎の力に俟たねばならなぬ。然るに朝鮮の佛敎界を觀るに李朝五百年間壓迫の結果九百の寺院と七千の僧侶とは山中に隱れ所謂山林佛敎となつて社會民衆と没交渉となり一般民衆は佛敎の慈光に浴する事が出來ぬ。之れに反し基督敎は鮮内到る處の重要地に禮拜堂を設置し盛んに活動せしめて居る。之れが爲め或る一部の朝鮮の民心は基督敎に依りて指導せされ朝鮮人の靈界は外國人に依りて支配さるゝ觀がある若し現状の儘に放任して顧みなかつたらば我が至純の東洋思想は遂に外來思想の爲めに蹂躙せされて仕舞ふ恐れはありはすまいか。其他各種の宗敎の如きは悉く之れ宗敎類似の團體で民衆の指導に任ずる資格に乏しく却つて迷信を助長する傾があり實に朝鮮民衆の一大危機と謂はねばなりませぬ。
苟も生を帝國に享け明治大帝の御恩澤に浴したるものは至仁至愛の大御心を奉戴し碎骨粉身此の危機の救治に努力せねばなりませぬ。本會は茲に鑑る處あり我が國體精神に合致する所の佛敎を以て民衆の思想を指導すべく奮起し大正九年創立以來引續き毎月六囘乃十囘に亘り佛敎講演會を開催し新附の同胞をして一味の法悦に浴せしめたるもの六萬八千百十人(延人員)講演數參百參十六席正會員の數五千餘名に及び尚ほ本會の事業に賛同せらるゝ知名の士五百餘名に達しましたが今日までの運動は單に京城府に止りたるを以て更に一歩を進めて全鮮に敎線を布くべく今月一月京城に於て總會を開き協議の結果左の四大用件を決議致しました。然るに本會の事業の如きは單に朝鮮に於てのみなすべきものにあらず又朝鮮のみの力を以て其の目的を達成すべきものでもありませぬ。どうしても内地の有力者の御後援を仰がなければならぬことゝ思ひます。故に進んで本年二月以來清浦首相を初め各國務大臣、各宗管長竝に各方面の人士を歴訪し其の賛成を求めたるに何れも其の必要を感ぜられ多大の同情を表せられたるを以て益々自信を強むるに至りたるも之が實行に當つては先づ何よりも經濟的基礎の確立を圖らねば到底其の目的を達成するなどは出來ませぬ。故に某等相謀り別紙の豫算に基き財團法人を組織する事になりました。請くは我等の微衷の存ずる處を察せられ擧つて御賛同を賜らば單り某等の幸のみでなく、實に國家民衆の慶幸とする處であります。
  左記
 一、内鮮各地支部設置の件
 一、布敎師養成の件
 一、機關新聞發行の件
 一、總裁推戴の件
大正十參年五月參十日
 朝鮮京城府長谷川町一七
  朝鮮佛敎大會
佛敎大會長に李允用男を選定
 朝鮮佛敎大會長權重顯氏が引退されたため會長欠員中の處、同會では別報の通り去月二十四日午后參時半から同會館に於て臨時總會を開催し會長を選擧したところ男爵李允用氏が後任會長に選定され就任を見た、尚總會では會長選擧の他左記諸項を附議して其決定を見た。
  一、參百萬圓財團法人組織の件
  一、會館基地買入の件
佛敎大會基地買収
朝鮮佛敎大會では五月二十四日の總會に於ける決議に基き京城茶屋町私立協成學校の基地二百六十二坪を買収したが南大門通二丁目に近接し京城目貫の場所であると。

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