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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「舊水雲敎鮮人僧を 一ヶ年間再敎育 半島同胞開敎の試金石 朝鮮總督府でも注目」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1940年10月25日
本文
朝鮮に於ける新興宗敎水雲敎本部の敎祖をはじめ全信者が大谷派に歸属して興龍寺を創建したことは當時報道の通りであるが舊敎主李象龍氏の歿後法嗣の副住職を輔けて同寺の總務としてあらゆる困難と闘ひつつ半島同胞開敎に○○的な活動を續けてゐるのは朝鮮開敎參十年の苦闘史を有する大谷派の庵無涯氏であるが氏は自身が刻苦して滿州に創立した寺をも捨てて興龍寺に飛込んだもので來る十二月一日より全鮮に五十ケ所の出張所を有する同寺所属の鮮人僧侶の向上を目指して一ヶ年に亘る再訓練講習を開催することになつたがこれは單に本願寺のみならず日本佛敎の鮮人開敎の試金石ともいふべき重大意義を有するものであるといふので總督府はじめ各道庁に於てもこれが成果に至大の注目をあつめて居る。
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