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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「某老師の朝鮮開敎談」
作者
旭村道人
雑誌名
『京都新誌』
号数等
年月日
1895年1月21日
本文
"某老師は稀有の人なり二十年來幾多の辛酸を嘗め關東諸県の開敎に従事し非常なる敎功あるをも以て世の爲に尊重せらる昨年七月某日朝鮮の事変に際し老師の西上を命せらるゝにあたり道人一日其門を東京に叩き質すに朝鮮開敎の事を以てす老師笑て曰く善哉々々我今子に告げんと滔々數千言懸河の弁をふるひ曰く何曰く何と深謀密策畫てつきざる所なしといへど其秘訣口伝に到ては之を世に公にすることを得ず暫く其一二を掲げ以て江湖の諸彦に告ぐ
第一に朝鮮八道枢要の都會に於て此際急に數千坪の地所を買受け若くば永代借受けの手段となし以て敎場設置の準備をする事
第二に朝鮮の僧俗各參十名多少の才能を有し且精神強固にして他日有用の材たるべき見込ある青年を撰抜し各參ヶ年間一人一ヶ月衣食の費用拾圓宛の見積りを以て資金を給與し僧侶を我大學林に居士を我文學寮に留學せしめ十分の敎育を移し或は本宗の僧侶として或は信徒とし而る後其本國同胞の敎化に盡力せしむ事
然り而して其敎場は必ずしも初より高大壮麗を極むるに及はず在勤の僧侶とても亦二參の事務家を除く外餘は敢て非常の英物を要せず(中略)惟ふに朝鮮は今後百事我國に模倣すべきこと勿論なれは日本に留學せし者の朝野に勢力あること恰も我國の維新前后に於ける洋行歸りの諸秀才の如くなるに至らん之れを指揮し之れを鼓舞して布敎伝道に従事せしは何の難き事か之れあらんや"
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