top of page

記事題目

「朝鮮總督府の覺悟と佛徒の用意」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1919年5月18日

本文

真宗中學に朝鮮歸りの河崎學長を訪へば旅行談より朝鮮問題を語つて曰く、真宗中學が朝鮮へ向けて第二回の見學團を派するに當り豫て鮮人僧侶養成の目的にて今夏より鮮人學生収容の約束もあつたので自分も再度の行を發して親しく朝鮮の風物に接するの機會を得た而して在鮮布敎師諸君竝に信徒諸氏の希望に委せて去月二日本願寺を代表して京城の總督府を訪づれ、長谷川總監に面會した、此日總督は喇嘛僧歓迎の午餐會に出席せらるゝ筈であつた相だが自分が訪問すると云ふ事を聞いて内務部長を代理に立てゆつくりと面會して呉れたのは非常に嬉しく思つた處である。
自分は先づ吾が大谷派が朝鮮布敎に就て種々お世話になつて居る事を篤く感謝し、次に今回の暴動に就てはその前日より戒厳令の布かれて居た事であるから當局者の苦心を情察するに餘りあり虔んで之を慰問し、而して徐ろに道途釜山にて關門日々新聞社支局長より聴取する處の密陽に於ける二參日前の騒擾に鮮人佛敎徒がこの暴動に參加する時は外道に堕すると誡められて單に之を避けたるのみなたず、寧ろ沈圧的の態度に出たと云ふ一挿話を移して以て統治上の參考に供したるに、總督は今更の如く宗敎の感化の偉大なるに驚愕されたるが既にして内外の形勢に顧み宗敎の補翼に待つもの多きことを自覺し居れりと胸襟を開いて物語られた、そこで自分は惟ふに官憲と宗敎とは常に歩調を一にして精神的統治を施かれざるに非らざれば、真の融和は、期し難いと思ふ處から両者相提携して統治の圓滑を期せられんことを希望した、處が總督に於ても機氣相投じたるものゝ如く佛敎徒の國民的敎化を希望され總督府に於ても佛敎團體に対して今後充分なる保護を加ぶべきことを約された、(中略)
自分は總督と語ること約一時間にして辞去し、その晩總督府の小田學務課長と渡邊宗敎課長が一行が宿泊せる京城別院を訪問されたので生徒と共に一堂に會し茶話會を開催して小田氏の朝鮮歴史の変遷渡邊氏の「朝鮮宗敎に就て」と題する各自専門的講演を聴いて後ち、主客懇談に時を費やした、要するに總督府が大谷派と提携せんとするに就て障壁を認むるは双方條規の相容れざる点である、大谷派は現今開敎條規に依り全道に四六ヶ所の布敎機關を備えて居るがその中寺院のは僅に京城の別院と木浦の一心寺だけで他は悉く敎會である、處が總督府では同じ佛敎に対して神社寺院規則と布敎規則を分つてゐて、寺院なれば充分なる保護も與へるが敎會なれば然うはいかぬ。
何故に寺院と敎會に分け隔てをつけるかと云ふに寺院は一定の住職があつて永住的であり殊に真宗の如きは世襲制度であるから徹底的朝鮮の開發に寄與する處が多いが敎會は主任の交迭が頻繁で到底寺院に対するが如き期待を爲す事が出來ぬので、自然政策上敎會に薄く寺院に厚からざるを得ぬ様になつてゐるのである。然るに本願寺の方では朝鮮の各敎會は、本山の經営であつて僧侶の個人的事業ではないから、寺院にして世襲的住職を置くことが出來ぬ、即ち茲に經済上の問題がある、他宗では敎會を寺院にしたがつてゐるが經済的に寺院の資格を具備せぬ者が多く、本願寺にはこれを具備して居り乍ら寺院制度に引直すことを嫌つてゐると云ふ状態である、四十六ヶ所敎會のうち寺院になつてゐる京城別院は本山直轄別院で住職は現法主が兼務し木浦の一心寺は柳祐信氏の創立で住職も同氏であるが釜山、元山、仁川、鎮南浦の別院は何れも本願寺の寺院の様に別院と称してゐる、敎會は一派の財産であるがこれを寺に直して住職を置けば個人的財産となつて終ふのと一派では敎會には補助するが寺にはそれが出來ない、朝鮮開敎に就ては總督府と本願寺の間には何等の疎隔もないが、その方法に就ては右の如く相容れざるものがある、これは一派に於ても近年の懸案となつてゐる問題で、在鮮布敎師諸君も布敎の徹底を期する爲め寺院に改めんと熱望して居り、總督府でもこれが改正を希望してゐると云ふことを確めたので、奈何してもこれは此際個人に與へて寺院と爲し、官憲の擁護の下に真に徹底的開敎の實を擧げねばならぬと云ふことを痛感した。(中略)その結果去十日京都別院で渓内布敎總監司會の下に重なる布敎師を招集して相談會を開き開敎條規改正の件を諮詢した、その改正案を更に上局が議して然る後ち發布せらるゝ運びに到るのであるが、果して右の如く寺院に直さるゝとすれば大谷派の寺院の二男參男に生れた僧侶は朝鮮に移住すれば養子ではなくて分家として堂々たる寺院の住職となることが出來るのである、(中略)
故に一派でも昨年十一月より鮮人僧侶の養成に着目し渓内監督、稲葉内事局長等と相談の結果第一期に五名真宗中學へ収容することゝなり、總督府の學務課にその人選を依頼し學務課は亦全道普通學校へ照會して朝鮮の普通敎育を終えた十六七歳の児童で僧侶志望のものを募つて撰択した、その結果は既に二月頃通知があつて來る九月の新學期から入學することになり、總ての入費は現法主の手許金から出る筈になつてゐたが今回の突發的変動に依り一頓挫を來すやうな事がなけねば好いがと心配してゐる次第である

bottom of page