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記事題目

「朝鮮總督府の対宗敎方針一変す 大陰謀事件の影響」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1912年6月15日

本文

日露戦争の後に於て韓國統監府設置せられ、故伊藤博文公統監に任ぜらるゝや、元來最も外國を恐れし伊藤公は、外國人宣敎師に対して大いに寛容主義を取り來りしかば彼等宣敎師中には、種々横暴の態度に出でたるのみならず盛んに排斥思想を鼓吹し頻りに韓人を煽動したる者さへあり、爲めに我邦に反感を抱ける韓人は外國人の援護を受けんとて基督敎に投ずるもの頗る多數に上りたりき、
それが爲め各宗派布敎使は布敎上困難を感ぜしこと決して少しとせず、然る所、昨夏以來、元大韓毎日新聞社梁起鐸等八十二名は、基督敎青年會長尹致昊等四十二名の鮮人と共に寺内總督暗殺の大陰謀を企てたること總督府の探知する所となり、昨冬より今年二に亘り其數實に百數十名に達したるが、・・・・・
總督府當局は右の被告中には基督敎信者多數を占め居る事、及び基督敎の伝道に就て外國人宣敎師竝に鮮人牧師等は排外思想の伝播に非常の力ありしことを認めたるを以て、今後は宗敎に対する方針を一変することに決したるものゝ如し
記者の探聞する所に依れば、總督府當局者は、今回の大陰謀事件に就ては、外國人宣敎師の煽動したる形跡認めらるゝと共に鮮人牧師は暗々裡に排外思想の鼓吹に努めたることを認めたるに依り、將來外國宣敎師及び鮮人牧師の伝道に當るは頗る危険なることなりとし、今後は邦人牧師の多數渡來して伝道に従事せんことを希望するに至りしものにて、則ち基督敎の伝播は決して之を嫌ふ所にあらざるも、外國人宣敎師及び鮮人牧師の其伝道に當ることを望まずして、大いに邦人牧師の之に當らんことを希望せるものなり、而して一方佛敎に対しては、従來の態度を改めて今後は大いに寛容的態度を以て之を遇し、殊に各宗派の布敎使は布敎と共に小學敎育を兼ね行ひ、鮮人と共に生活をなし苦樂を同うし、以て献身的に彼等の敎化に努むる者には、出來得る限り利便を與ふることに決し、宗派の何たるを問はず斯の如き布敎使の多數渡來せんことを切望するに至りたる次第なり

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