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記事題目

「朝鮮總督府の宗敎行政」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1916年8月2日

本文

朝鮮總督府は、朝鮮に於ける天主敎宣敎師が動もすれば非國民的の思想を鮮人に鼓吹する傾向あるを見、今後朝鮮の統治を完全にするには、單に政治敎育の力のみに依りては不可なり、是非とも宗敎の力をも藉らざるべからざる次第なるが、それも従來の如く鮮人精神界を擧げて天主敎の手中に委ね置くは、甚だ危険なれば、是非とも朝鮮固有の佛敎を復活せしめ、それを以て鮮人の精神を支配する主力となさゞるべからずとなし、其の方針によりて着々宗敎の取締りを爲すに至れりと云ふ。
然り而して佛敎をして真に朝鮮に於ける精神界を支配するの主力たらしめんと欲せば、現今各宗が朝鮮に於て爲しつゝあるが如き布敎方法にては不可なりとの考へより、我總督府は曩きに寺院令なるものを發布して寺院の改良綱領を計らんとするの意志を表明したり、吾人は今茲に該法令の内容を詳しく説明するの餘暇を持たざれ共、内地佛敎界従來の宗制寺法なるものと比較して著しく異ると思はるゝ点は、寺院に対する各宗本山管長の權利を縮小して、檀信徒の權利を伸張したる点ならんか、随つて此法令によれば本山の出張所とも云ふべき別院の如きは、存在の餘地なきことゝなるらん。
吾人は我國従來の佛敎各宗派の制度があまりに中央集權的若しくは専制的なることが、佛敎今日の衰頽を來せし主なる原因の一なることを信ずる者なるを以て、朝鮮に於ける此○制度の樹立は頗る時勢に適したるものなることを感ぜずんばあらず。然れども、此制度は内地に於ける佛敎各宗従來の制度習慣と大に異るを以て、各宗本山に於ては頗る恐惶を來し、それべ取調べ中の由なるが總督府に於ては、勿論従來各宗の宗制寺法は政府の認可の下に成立てるものなれども、そは何れも内地のみに適用するべきものにして、朝鮮の如き新領土は自ら別問題たらざるべからずとの解釈を取り以後は専ら總督府自身の意見によりて、其宗敎行政を行ふの方針なりと云ふ、而も政府に於ては朝鮮に於ける此新しき試みを以て、内地に於ける宗敎法編纂の爲の實地試験に供するの意ありと伝ふ。

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