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記事題目

「朝鮮布敎私見」

作者

雑誌名

『明敎新誌』

号数等

年月日

1894年11月30日

本文

吾人は日本佛敎なる名を以て各宗協同朝鮮布敎會なるものを設立し一方に於ては渡韓僧を養成し、他方に於ては朝鮮伝導に關する諸種の出版物等をなし以て此の朝鮮布敎を畫せば僅少なる鶏林八道を風化する決して難しとせざるなり、吾人は各宗協同して以て此の會を組織し、此の會を以て朝鮮布敎に従事せられんことを熱望して止まざるなり、(中略)吾人は敢て一宗に偏するものにあらず、故に何れの宗旨か朝鮮布敎の主導者となるも毫も意に介するに足らず、成る可くは各宗協同を望むなれど、この事出來難しとせばそれまでなり、たゞ何れの宗旨にても熱心に此の八道に佛種を撒き得ば吾人の望は足れり、たゞ此の望みを達せんむと欲す、また婆心の議を顧みず一二の策を提出せざるを得ず、(一)韻文(勿論朝鮮語)を以て佛敎の要旨をしめすこと、(中略)(二)諺文を以て佛敎雑誌を發刊する事、(中略)以上の二策は今日直ちに行ひ得べきものなり永遠布敎の畫策としては敎會制度を朝鮮に施かざるべからす、各宗學校の随意科に朝鮮語を置きて朝鮮布敎の僧を養はざるべからず、一大寺院を朝鮮に築くかざるべからず。而してこれら永遠の策に至ては吾人が前述する各宗協同朝鮮布敎の會合を組織し力を共にし心を同うして之を爲すの一大功益あるを思ふ、今はたゞ目前爲し得べきの策を呈せるのみ、各宗諸師希くは此の対外問題を機として一致協同の實を擧げ、以て帝國か朝鮮に対する義侠の事業を翼賛し此の敎なきの民を化せよ、

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