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記事題目

「朝鮮布敎は個人に限る 法主名義は許さぬ」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1919年5月24日

本文

朝鮮には法主名義の兼務地別院を許さぬと云ふ總督府令に依つて朝鮮に開敎所を持つてる各宗本山が迷惑して居ることは紛れなき事實なるが、東本願寺朝鮮開敎の現状を聞いて見ると大要下のごとくである。(旭)
▲寺院と開敎使 (中略)去大正參年朝鮮總督府が發布したる同條規に依れば朝鮮に於ける寺院は寺院と布敎所の二種に分たれ寺院を公称せざれば必ず布敎所と称し二者何れかに準ぜねばならぬことに規定されてある、従つて東本願寺の別院の如きは同條規に認められぬことゝなれば處なく別院称を廃止せねばならぬことゝなる布敎師には本願寺より派遣したる開敎使駐在して開敎に従事し、別院は布敎所と稍や趣を異にして本願寺管長が兼務住職となつて居てその住職の代理として輪番を派遣してある
▲東派の五個別院 (中略)總督府の寺院に対する規則に依れば兼務住職を許さず必ず當の本人が直接居住せねばならぬことに規定されてある、(中略)彼や此やの事情を具申した結果として京城別院のみは現在の名称の儘にて本願寺管長が兼務することを前年許可されてあれども、他の四個別院は舊制度の儘にあれば何とか方法を講ぜねばならぬが、茲に面倒なるは別院に關する本願寺の諸規則が總べて同一規則にてこれによりて内地と海外の差別なく一律の下に統一し來り居る、若し朝鮮に於ける寺院規則だけを内地と放ぢて制定することゝせば更に別途に新制度を設立せねばならぬから本願寺としては少からず手數を以て荏苒今日に至りたるものであると。
▲目的は外敎徒 朝鮮總督府の規則改正に二個の理由がある、寺院制度にすれば住職が永住するから事業にも力が這入る、故に寺の基礎が鞏固になつて本山出張所時代の如く二年か參年で開敎使が交代する繁雑がないと云ふやうなことは真に附たりに云ふことで實際の理由は寺院や敎會所の實際の權力者は遠い米國や露國にあるとか若くは日本内地の本山の出張所であると云ふことになれば統治上頗る面倒であるから出來るだけ實際の權力者が實地その寺院内に住居し布敎して居ることになれば統一上頗る便利であると云ふのであるが、これは日本の寺は真に附たりの話にて目的は外國の敎會所にあるのである。(續く)

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