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記事題目

「朝鮮國に於ける基督敎の現況を演べて本宗當路者に望む」

作者

在朝鮮釜山守備隊河原正光

雑誌名

『日宗新報』

号数等

623

年月日

1897年12月8日

本文

五百有餘年來東洋の一隅に僻在して今日に至る迄独り文明の風化に漏れたる朝鮮國の人民は實に不幸の極度に落ち沈みたる野蛮の人民なり彼等既に自ら其不幸なる野蛮人民なる事を知覺する能力なく随て文明の幸福を希望するの心もなき不幸の人民なり(中略)是に於てか敎化的恩恵即ち彼自身の力を以て彼等の幸福を保有し得べき能力を付與するの方法を取らざるを得ず
客年五月渡韓以來公務の餘暇種々の状況を觀察するに朝鮮に於ける日本佛敎徒は唯同朋居留民間に布敎するのみにして一も韓人を敎化しつゝあるを見ず然るに之に反して基督敎の勢力は日一日よりも盛大にして數百の伝道師は許多の資金を投じ或は學校を建てゝ子弟を敎育し或は貧民に生計を授け不能力貪利的なる韓人に食はしむるに好餌を以てし手段至れり盡せり韓八道至る所會堂の設立を見ざるなく其徒亦數十萬に達す是れ畢竟其方法の韓人の性情に適合するより數の善悪を問はず之れに雷同するか故なり此勢を以てせば古佛敎國たる朝鮮は幾くならずして佛敎國たるの實を失ひ全然邪敎國に化すや炳として火を見るよりも明かなり我國佛敎に縁深く殊に以上の關係ある國をして徒らに其蹂躙に任す是をも猶忍ぶべしとするか斯く論じ來れば實に涙數行斷腸の思あらしむ我同胞の士誰れか之を嘆息せざるものあらんや抑も佛敎を我國に伝來し併せて幾多の文物を輸入し來りて我國を裨益したる本源たる韓國佛敎の衰頽を再興するは實に我國佛敎徒の一題義務ならずや然るに未だ一人の勇進して遠征的布敎の壮雄を試みたるものあらず
我國佛敎徒の中鋭敏熱心なる數人の俊英を抜き之れを有名なる韓寺に留錫せしめ其顧問となり韓僧を敎育して布敎の任に當らしめば敢て難事に非す(中略)宜しく韓寺を利用し韓僧を敎育するの策を用ゆべし
偶々日宗海外宣敎會員加藤文敎師仁川より來ると聞き妙覺寺別院に訪ひ朝鮮布敎に於ける師の意見を叩く師一見舊知の如く斷じ來り一草稿を示して曰く餘の意見書して此稿中に在り就て見るべし
此際本宗當路者は幾何の資を集めて京城に一大會堂を設立し之を根拠とし俊秀の僧數名を撰ひて之を八道中有名の韓寺に顧問たらしめ互に氣脈を通じて布敎の道を謀り一方には有爲の韓僧を抜きて本國の檀林に留學せしめ業終るの後其故國に歸らしめ以て布敎の任に當らしめば其伝播の速かなる恰も火を迎へて油を注くの勢あらん

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