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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮佛教大會の名稱變更に就て」
作者
雑誌名
『朝鮮佛敎』
号数等
12
年月日
1925年4月
本文
朝鮮佛教團と改稱 副會長 前田昇
朝鮮佛教大會、創立以來、一般社會の同情の下に逐次發達を遂げ、其の結果として組織を變更して財團法人にすることに就いて、近くこれが認可もある筈であつて、將來はこの會の組織が當固となり、益建實なる發達を逐ぐべき其根の確立を見るに至つたことは、誠に喜びに堪へない次第である。而して
其組織を變更
して新しき法人として、一つの人格を有つて生れ變るこの會の名稱は、朝鮮佛教大會とい會名の下に、数年來繼續をして來たのであるが、名稱の如きは勿論一つの符號に過ぎないので、これに大なる意味を有たせる譯のものでもなく、從つて其の名稱は多少の適、不適があつたところで、さしたる支障はないのであるが、元來『佛教大會』なる名稱は、字義の上から見て、何人もこれを一時的の會と謝られ易い。即ち永久的の意味としては妥當でないといふことは、今日までも一般の人が常に口にするところである、謂ゆる例會に對する大會といふ意味から、
佛教大會と云
ふ名稱其のものが永久性に●かないことは、今日まで多くの人が異口同音に言ふところであつて、私等も常に其の感じを有つて居つたのである。
結局其の名稱が、會の名稱としては適當でないことは、既に今日までの相當役員の中でも問題になつて、殆んど異論はないのであるけれども、併しながら創立以來永年この名稱の下に立つて來た本會としては、即ち相當に賣り込むだこの名前を、強いて變へることの必要もない。適當ではないけれども、敢へて改正する程の必要も認めない爲めに、實は名稱の議も、従来一再ならず起つたのであるけれども遂に實行せられずして今日に及んだのである。ところで、
組織を變更し
て法人となつた今日、若し變更の必要日があるとすれば、この組織變更の際を措いて、再び斯ういふ機會は到来しない。即ち言い換えれば今日が時機である
开で段々研究を遂げて、どうしても大會といふ文字は穏かでない、現に東京に於ても本年の秋には東亜佛教大會といふ一つの大きなものが催される。又本會としても、今後朝鮮に於て何等かの機會を捕へて、大々的に佛教大會といふやうなものゝ開催をしたい希望もある。斯の如き場合に於て、本會が佛教大會といふ名稱を有することは、この種の大會を催す際にも、甚だ差支える譯である。
尚ほ今囘財団法人の組織に變更するに就いて、従来の如く人即ち會員を組成分子として居つた、
従来の會とは
其の性質を異にして、今後は財團を以て本位とする。即ち財團法人となつた結果として、當然會の組織も其處に幾分の變化を見る譯てある。財團法人といふことに對しても、従来の佛教大會といふ名稱は些か適當でもないといふ感じもするし、旁々今まで永年この名前の下に繼續をして來た本會の名稱としては、好んで變更したくはないのであるけれども、變更をする機會としてはもはやこの機會を措いてない。再び斯かる好機は來ないと思はれるので、斷然この際名稱を變更することに決定したのである。然らば何と改題するがよいかに就いても色々研究を重ねた結果、朝鮮佛教團といふ新しい名稱を附することになつたのである。勿論會と謂ひ、團といふも、何等其處に深い特異の意味を有つ譯のものでもなく、唯大會といふことが一時性に響いて永久性がないといふ點と、今囘財團法人といふものに組織を變更した、
この好機會に
當つて、年来の懸案ともなつて居つた不適當な名稱を捨てゝ新しい名稱を捕へたに過ぎないのである。
従つて組織は變り、名稱は變更すると雖も、この新しい佛教團なるものは、言ふまでもなく従来佛教大會なるものゝ事業一切を繼承して、唯、今まで言はゞ未成年者であつたものが今囘一つの人格を有ち、一人前の成年になつたと同時に、名稱をも變更したに過ぎない。兎に角何等深い意味はないものであるからして、従来の佛教大會としての社會の同情、其の他御援助等に對して、何等變化を來すべき理由はないと思ふが、名稱が變つたに就いては、色々の疑惑を抱かれる方もあらうと考へて改稱に就いて一言の理由を申述べるのである。