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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮佛敎大會の運動 陣容漸く調うて活動期に入る」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1924年5月21日
本文
朝鮮佛敎大會にては布敎部の設置、機關紙の發行、布敎師の養成等を目的として發會し既に參年間を經過し内鮮の同志五千名會員とし賛助來り、布敎部は京城本部にて毎月定例講演會を二回宛催し相當の成績を擧げて來たが最近東亜民族結束を目的として發會したる同民會と提携し活躍すべく、尚布敎部に大法正を置き布敎部を統率運動すべく之れが推薦方を參十本山に依頼した處參十本山にては參十本山中の長老李晦光を推薦したるに依り去る十日大法正推戴披露式を擧行し本部の伝道より進んで支部の設置運動に着手すべく、機關紙朝鮮佛敎は朝鮮宗敎界の報導をかね本月十日初號を發行したが將來毎月參回位發行すべき豫定であるといふ。さらに布敎師の養成は同會事業の生命といふべく従來縷々研究熟○を重ね來りたるが愈々今回財團法人を創立し之が達成を期すべく、目下趣意書の起草中の由であるが同會總務小林源六氏は十萬圓を同會に寄付する筈だといふ。氏は従來同會の爲數萬の財法施をなして居り、今又巨萬の費を投ずるに就て内鮮の諸名士は痛く感激して居る。財團趣意書が成れば副會長の李元錫氏之を擔當し、朝鮮側の賛同を得て後内地渡航賛成応援を乞ふ由。
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