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記事題目

「朝鮮佛敎の真価 ・・・・が日本に知られてゐない 妙心寺派二執事の談」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1929年10月30日

本文

京城に於ける佛敎大會で朝鮮佛敎團○參十一本山との經緯に際し居仲斡旋に努めた妙心寺派の朝日魚住二執事は鮮滿を視察して歸洛したがその談に
大會終了後中央敎務院の書記長格で臨済宗大學出身の金法龍君に案内されて中央佛敎院經営の高等普通學校及び佛敎専修學校を參觀したが、煉瓦造りの堂々たる建物でとても吾が臨済宗大學などの比肩しうるところでなく驚いてしまつた。内容の充實は開設後日尚浅いため見るべきものもないが參十一本山の實力なり努力なりは將來大に見るべきものがある。自分たちの參觀は先方でも非常に喜んでくれて日本の佛敎徒が一向認めてくれてない中に見てくれて嬉しいといふ事であつた。
従來伝へられた日本に於る朝鮮佛敎事情は朝鮮佛敎團を介してのみ伝へられた爲めに相互に疎隔を來したのではないかと思ふ。ある本山の住職の話によると、日本の僧侶はこれまで朝鮮の寺院を自分の宗派に隷属せしまやうといふ態度に出た爲にこちらで応ずる筈もなく甚だ拙いことであつたが今後はもつと高い立場から佛敎の伝道といふ点で提携する態度に出て貰ひたいといふ事であつた。參十一本山を通じて宗旨の差が無いから朝鮮寺院として統一は容易であると思ふが新舊思想の衝突は起ることだらう。宗旨としても最も近似してゐるのは吾々の臨済であり本山によると臨済正宗を掲げてゐるのもあるといふ、宗派の伝道地としては平壌で途中下車して、樂浪墳を見、安東県奉天、撫順、鞍山店、大聯などを見たが現職の者の視察は最初のため大に喜ばれた。(中略)今後は開敎功勞者の芳躅に學んで東京に専門道場を設けて要路の人との道交を厚くし、支那朝鮮の言葉を自由に使ひうる僧侶の養成することが大切なことだと思ふ。鮮滿に於ける生活相の差異やその他の珍奇なこと又各開敎地に於て僧侶の部屋借りの生活やその他いろへの点に耳目を新にしたことが頗る多い。

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