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記事題目

「朝鮮の文化政策と宗敎 名のみの各宗派の開敎」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1920年11月21日

本文

前元山東本願寺輪番上野興仁氏は朝鮮の宗敎事情に就いて語る。
斎藤總督赴任以來所謂文化政策行はれ、陰謀事件の當時半減せりと伝へられたる基督敎は却て往年に倍加せる勢力を加ふるに至れり。佛敎側が何程もがきても資力に及ばず人物もなく到底太刀打をなす事能はず。基敎は到る所に病院、學校の設備をなすと共に斎藤總督の歸朝などの時南大門駅頭に送迎する衆人の中總督と握手するは官吏中の高官二參に止るに宣敎師等は堂々と總督と握手し談話を交ゆれば總督もお上手の一つも言ふ有様なるに然るに佛敎の代表者は判任官の列末にションボリと控へをれり。是を見る鮮人の頭に如何で佛敎に歸依する心あらんや。特に鮮人の全部は表面歸服を装へども独立の時を思はざる者なく彼等の鬱を晴らすべき場所は日本人の退けられをる敎會の中より外になし。敎會の信徒となれば外人宣敎使が決して日本人の店より買物をなさざるが如きボイコツトの痛快事ありて鮮人中の智識階級は多く敎會に出入せり。只鮮人の敎會に於て苦むは禁酒と勞働の勧奨のみなり。一方佛敎側は各宗の軋轢甚しく開敎に非ずして内地人の跡を追ふ追敎といふが適當なるべく、内輪揉を事とせる佛敎各宗の中最も鮮人に接近せるは曹洞宗なり。然し鮮人信徒を有する点に於ては浄土宗に及ばず。次で東西本願寺の順序なるべし。かつて大臣たりし水野氏が長官となれる如く各宗の一流の人物が監督たらばよけれども官吏其他に対比すべき人物なし、されば多く知識階級に○されず先日も水野長官が元山に來りたる時元山の有力者を招きて一夕の宴を張り元山の官民と基敎の牧師は招かれ牧師聯は特に長官より待遇されたりと伝へらるゝに佛敎側には何等の通知すらなき有様な。文化政策が日鮮人の融和境を齎すべきや否や。或は却て待ち設けざる陥穽の鮮人間に掘られつゝあるには非るか、兎も角佛敎の開敎は現状を以て絶望なりと言はざるを得ざる状態にあり。

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