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記事題目

「布敎策」

作者

鐵腸生

雑誌名

『明敎新誌』

号数等

年月日

1896年8月20・22・26日

本文

善隣國の危急を救ひ、其安全を保護するとは我邦が朝鮮に対する声言なり、而して、この道徳的意味の外、何ものをも含まざる乎。蓋し自國の保護利益は、其の声言の依て來れる所以なるべし。嘗て波斯が露國の強迫を受くるや、擧國皆な英國恃むべしとなし、英國は必ず波斯と同盟共合すべしと信じ、國民此の國論に頼て露國に抗したり。豈計らんや英國は高見の見物に知らざるものゝ如くならんとは。是れ朝鮮に対する我邦の不信義なるに非ず。波斯に対する英國の詐謀を行ひしに非ず。彼此の利害得失に鑑みたる外交上の政略なるなり。徳義を欠かざる國際上の正當の判斷なるなり。佛敎家の敎を布き道を伝ふるの上に於て、其の方法、徹頭徹尾必ずしも此くの如くなれと云ふにあらず。然れども佛敎家もまた開敎伝法の計を廻らすに於て、常に政略的、策略的の考を有せざるべからざるなり。
外交家が機敏慧巧の手腕を要するが如く、臨機応変の才、又布敎師に待たざるべからず。故に布敎の方策、取るべきは取り、捨つべきは捨て、其の声言は如何様なるとも、其の名義は何たるとも、自敎の利益を言ふことは抑第一着の主点たらざるべからず。自敎の利益既に第一着の主点たる已上は、凡ての方法は功を此に収めざるべからず。此に於て布敎に必要なる條件は、佛敎家が事を擧げ業を興すに就て、先づ其の利害得喪を調査し。而して得ること多く、喪ふ事少きの成算成らば、尚前月に於ける我邦の朝鮮に対するが如くなるべく、得喪相半ばするの場合に於ては、或は嘗て英國が波斯に対する行動を取るも可ならん。若し其れ利害相償はず。得喪相合はざるの時に當ては。斷然袂を払て退去するところあらんのみ。是故に如何なる慈善も。如何なる事業も、凡て皆自敎の利益と云ふ最終目的に達する、只一の手段に過ぎず。方便に過ぎず。策略に過ぎず。
論ずるもの或は曰く、佛敎は宗敎なり、佛敎家は宗敎家なり宗敎家の布敎の方法を講する、徹頭徹尾己を忘れて人の爲にし、名利の觀念を没却して一意正義公道の爲に竭し、博愛同仁又一毫の私意を挟むべからず、外交家の策略手段に學ぶが如きは宗敎の神聖を汚すものにして、是れ宗敎家たるの本義を過るものなりと、是れ一二の論者の主張するところにあらずして、實に佛敎者の多くは概ね此の説を取るものなり。然り、誠に然り。然れども是れ抽象的の理念にして、其の理想に至ては須らく此の如くならざるべからず。而して實際布敎の實務を取るに於ては初より理想の體に達するを許さず。その手段、その方略。千様萬態、種々雑多の方法を要す。しかも自敎の利益は常に其の目的たらざるべからず。かくの如くして進みたるの結果、遂に敎家の理想に到達すべきこと、尚我邦が東洋の平和を理想としつゝ、しかもこの理想に達せんが爲には、或は干戈を動かして支那と勝敗を試み、或は朝鮮を扶けて之を啓導し、以て自國の保護利益を全ふすると一致なり、
其の實際上の方面に於て、尚私欲を挟むの不可なるを難詰するものあらん、然れども公欲素と私欲に非ず、寧ろ堂々たる公欲なり、(中略)理想は吾が希望し、願求し、到達せんと欲するところ。然れども理想は直に行はるべきもに非ず。理想は一個の標的に過ぎず、現實は尅々理想に近寄らんとす。(中略)將來見込ある方面に向て羽翼を伸し、自敎の利益を伸張し、自敎の範囲を拡大せんことを努む。かくして遂に其一部分に於て己が理想の世界を築くを得べし。

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