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記事題目

「大谷派朝鮮開敎團が 鮮人布敎進出を決議 私塾開設、鮮童敎養等々 根本案を樹て意氣旺ん」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1932年5月11日

本文

大谷派朝鮮開敎團總會及び布敎考究會は既報の如く去る四、五、六日の參日間、京城南山別院に於て朝倉敎學課長臨席の下に開催されたが、午前の布敎考究會には本山特派の河崎顯了氏竝に林總督府學務局長、大原同行刑課長の聯日四時間に亘つて熱心に聴講、午後の開敎團總會協議會には開敎團の豫算決算開敎に關する各提出協議案及び本山提示の鮮人布敎に關する諮問案、即ち鮮人部落出方法竝に鮮人に対する間接布敎方法等を中心に頗る熱烈なる討議がなされ、去る五日(第二日)の如きは本山諮問案に対する大體の根本方策考究のため特に特別委員會が深更午前二時頃まで續けられ鮮内各開敎使の體験論から割り出される真剣な議論が續出した結果先づ鮮人布敎進出の第一歩は開敎使自體が直接内鮮融和の先鋒として鮮人と親睦を結ぶのが先決問題だといふ見地から、大體左の如き根本方針を樹て之を總會に諮り、滿場一致、決議を見るに至つた。
概要を擧ぐれば、内地の小學校に相當する朝鮮の普通學校は義務敎育でないから初等敎育が完全に普及して居ないから、或る一定の時機を見て鮮内部落に私塾の如きものを各布敎所で開設し鮮童敎育に従事し日本語等を敎授すること又普通學校卒業生の指導に當ること、及び各布敎所に鮮童を給仕として雇ひ入れ、鮮童給仕の成長するに及んでこれを布敎所の事務員に昇級せしめ内鮮融和、布敎所進出の一助たらしむること、又谷大に留學し専門部を卒業し、現に朝鮮開敎使として活動して居る新進朝鮮開敎使をして鮮内村落巡回布敎をやつてもらふ事等であり、之が實現のセンセーションを起すべく期待せられてゐる

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