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記事題目

「各宗聯合鮮人敎化機關 平壌佛敎會堂設立」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1920年3月13日

本文

不逞鮮人を簇出せしめし以來在鮮佛敎徒は深く鮮人敎化の必要を感じ之れが方法を計畫せるが中に不逞鮮人殊に多かりき平壌に敎會所を有する各宗は今回聯合して敎化に努力すべく佛敎會堂を建設せんとて資金の応援を各宗當局に依頼し來りたり、計畫の内容は第一期事業として仮會堂を建設し講演會、日曜學校を開き第二期事業として本會堂を建設し青年會女子會を催し會堂を開放し救済事業、施療施藥等の事を起す由にて第一期事業の爲めに五千圓の豫算を計上せり、今回浄土宗大谷清敎、真宗本派植村祐存、臨済宗曽根良順、真言宗内海慧雲、日蓮宗早瀬孝廉、真宗山元派藤野達悟、曹洞宗東海林道賢、大谷派竹林實登の各氏聯名左記趣意書を送り各宗當局に援助を依頼し來れり、
佛敎各宗共に朝鮮布敎に心を碎き意を注いでより茲に年あり然るに其の間鮮人布敎の爲めに着手せる事業の見るべきもの實に稀なり、今や世界の趨勢につれて鮮人思想の動乱真に甚しく徒らに付和雷同或は軽擧或は煽動等殆んど其の歸る所を知らざるが如し、是れ畢竟内に宗敎的の信念なく外に國民的真の導なければなり特に全道第二の都市として將た基敎の隆盛地として過般來事件頻出の地として將た又た未來の一大工業地として○目せられつゝある大平壌而も現に六萬の鮮人集合地として此中に佛敎者の手になる布敎機關の施設なきは實に寒心慚愧の至りとせずんばあらず、顧れば各宗いづれも此地開敎以來等しく之れが爲めに苦心焦慮止まざるものありしも事容易の業にあらずして能く一宗一派の力を以て堪ふる能はず荏苒今日に至りしなり於是てか生等見る所あり奮然立つて宗敎の小見を打破し同心協力唯一佛敎の名の下に刻苦精励不惜身命以て鮮人布敎事業を開始せんとす其の第一歩として佛敎會堂を建設し徐々に適宜の運動を試みんとする所以なり。

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