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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「京城開敎の急」
作者
雑誌名
『日宗新報』
号数等
581
年月日
1895年12月8日
本文
加藤文敎師遙に書を寄せて、朝鮮の敎況を報し、京城布敎の急なるを告く、京城の地鶏林の首府各種團體の最も重きを置く所なれは開敎の急多言を要せすして明かなり、佐野前励師嚮に韓僧と約ありと曰ふ、又京城開城に着手する所ありと伝ふ、同師多忙の身を以て内地を跋渉して元寇紀念銅像建立を企て、海を航して外國開敎を設計す、吾人は其多忙を察すと雖も、同師か其約束と目的を誤ることなき様且つ充分に成功せられんことを切望す、
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