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記事題目

「上野朝鮮監督の転任で 舊水雲敎が起つ 豅氏の赴任は極めて困難 大派海外開敎陣難航 如何に打開するか」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1938年5月21日

本文

既報の如く北支赴任の直前、關根内局の總辞職に殉じて前參務津田○氏が北支開敎監督の重任を辞したので安田新内局に於ては之に代わるばき適材を詮衡中であるが之に先立ち津田氏と前後して當時の敎學課長豅含雄氏は朝鮮開敎監督に任ぜられ、これに伴ひ抜打的に朝鮮開敎監督上野興仁氏は長江開敎監督に転任を命ぜられたが果然同氏の留任騒動が起り本山當局に対し留任嘆願書が發せられる有様に後任豅氏の赴任は極めて困難な事情にあり従つて上野氏の上海赴任も停頓状態を續けて動かずために長江開敎監督を依願免役務になつた○西賢正氏は事務引継未了のため空しく上海に留まるといふ沈鬱のどん底にあるが一方、本紙既報の如く比律賓群島ダバオ開敎陣の動揺は主任今井香厳氏の留任を要望する信徒團の後任拒否の氣勢強く形式的には○○氏の兼務となつて居るが後任派遣の困難な事情にあるので安田内局では目下之等海外開敎陣行詰りを打開すべく協議を重ねて居るので其の難關打開方策が注目され不日何等かの解決を見るものと期待されて居る、な仄聞する所によれば舊水雲敎本部現興龍寺に於てはその改宗に功勞のあつた上野氏の転任に反対でこれが留任運動に奔走しつつあるが場合によつては全鮮の舊水雲敎關係方面にも留任運動が波及するだらうといはれ其成行が注目されてゐる。

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